原題:Bajrangi Bhaijaan
上映時間:159分
監督:カビール・カーン
キャスト:サルマーン・カーン ハルシャーリー・マルホートラ カリーナ・カプール ナワーズッディーン・シッディーキー シャーラト・サクセーナなど
あらすじ
インド人青年と、声を出せないパキスタンから来た少女が、国や宗教を超えて織り成す2人旅をあたたかく描き、世界各国でヒットを記録したインド映画。幼い頃から声が出せない障がいを持つシャヒーダーは、パキスタンの小さな村からインドのイスラム寺院に願掛けにやってきた。しかし、その帰り道で母親とはぐれてしまい、1人インドに取り残されてしまう。そんなシャヒーダーが出会ったのは、正直者でお人好しなパワンだった。
ヒンドゥー教のハヌマーン神の熱烈な信者であるパワンは、ハヌマーンの思し召しと、シャヒーダーを預かることにするが、彼女がパキスタンのイスラム教徒だと分かり驚がくする。
長い年月、さまざまな部分で激しく対立するインドとパキスタン。しかし、パワンはシャヒーダーを家に送り届けることを決意し、パスポートもビザもない、国境越えの2人旅がスタートする。
主人公パワンをインド映画界の人気スター、サルマーン・カーンが演じる。
引用元:https://eiga.com/movie/82542
1月22日 なんばパークスシネマにて鑑賞 [ 85/100点 ]
今年一発目の映画館で見るインド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」。
噂に違わぬ快作でした。これは面白い!
インドとパキスタンの対立問題、宗教の相互理解、普遍的な人間愛と様々なメッセージもさることながら、映画として泣かされたり、笑わされたり、悲しまされたりの演出面も素晴らしく言うことなしです。
おそらく今後まだまだ話題になるであろう、国境も言語も軽く超えて訴えかけるこの名作について、レビューを綴りたいと思います。
本記事にはネタバレが含まれます。ご注意ください。
舞台立てとアクションで織りなす感動の連打
この作品のまず特徴としてあげられるのが、とにかく泣きや笑いを含めた色んな感動の波が絶え間なくやってくることです。
大筋としてどのシークエンスのオチも、あるいは物語の結末までも読める展開なのに、そのどれもが面白いと感じてしまうのです。
脚本はバーフバリの共同脚本を務めたV.ヴィジャエーンドラ・プラサード氏。バーフバリの特徴でもある「場面設定を活かした豊富なアイデアとアクション」はやはり今回も顕在。
例えばその凄さの片鱗がわかる序盤のOP。主人公の女の子シャヒーダーが迷子になるまでのお話です。
シャヒーダーが生まれながらにしゃべれないこと、興味を示したものへ一直線に駆け寄ってしまう子供らしさなどが、故郷の村スルターンプルを舞台にして語られます。
ここまでの一連のくだりが説明的なセリフも最小限。毎回ハラハラするアクションを一つづつ折み、後の伏線となるヤギやクリケット、村の景色までもちゃんと物語が進むごとに意味を持ち出します。ここが本当にウマイ。
丁寧に村での暮らしを描いたことで列車に置いていかれる場面なんかは「どうしてこの子がこんな目に逢うの(涙)なんてかわいそう! 可愛いヤギさんを助けただけなのに!!」と早くも感情移入しすぎて涙腺をこじ開けられそうに…。
そんな素晴らしい手際の冒頭から、一気に真打ち登場へ引き込む群舞シーン「Selfie Le Le Re」。ここは映画館で聞くと低音のパワーも含めて力強さが全開なので、音の迫力だけでもしびれます。
公式より「Selfie Le Le Re」シーン
言うまでもないですがこの一曲目で登場する主人公パワンが、ハヌマーンを一途に信仰していること、腕っぷしやガタイから目に見えて強そうなこと、そして最も重要なのが間違いなくどう見たっていい人なのが理解できてしまいます。
あとここで象徴的なのがセルフィを入れてくるという茶目っ気。シリアスになりすぎないように定期的に「ふふ」と微笑んでしまう笑いを入れて、肩の力を抜いてくれます。ここは映画全体を通してバランス感覚の優れた特性だと思います。
名優しかいない俳優陣
バジュランギ:サルマーン・カーン
この映画、本当にメインキャラクターたちが名優ばかりで魅力に富んでいます。
まずバジュランギこと青年パワンを演じるサルマーン・カーンです。この人、先ほども触れましたけどやっぱりデカイです。
この図体のデカさに反して純朴そのものな表情を見せてくれるので、まあ可愛さ全開なこと!ヒロインのラスィカーとのロマンスシーンは爽やかそのものですね。
公式より「Tu Chahiye」
一方でキッと睨んだ時の凄みも素晴らしい。私は今回が初のサルマーン・カーン映画でしたが、彼はこれまでは基本的に大暴れorやんちゃする系の役柄が多かったとのこと。どうりで売られそうになったシャヒーダーを助ける場面、堂に入ってるはずです。
潤んだ赤目で手を震わせて怒りと哀しみを湛えたあの立ち姿は最高ですね。てめえらの血はなに色だーっ!!とか言いそうで、こっちも身震い。
基本的に暴力の無い映画ですし、観客のコチラとしてもそこを望む気は全くなかったわけですが、この娼館シーンだけは「どうぞ存分にやってくだせーバジュランギ兄貴!てかもうボッコボコにしたれ!!」と応援したくなる気持ちでいっぱいです。
応援上映したいです。ハヌマーンポーズをみんなでやりたいです。
シャヒーダー:ハルシャーリー・マルホートラ
もうひとりの主人公シャヒーダー。この子の喋ることができないという設定もさることながら、演じるハルシャーリー・マルホートラさんは目の演技も素晴らしいです。セリフ無しで本編が進行するのでここが実に活きています。
このシャヒーダーという子のアクション、リアクションは普通の子供らしさが自然に出ていて、変なあざとさが無いです。過剰でもなければ大人しすぎるわけでもない。
さらに物語上の役割で興味深いのが、実は彼女のとる行動そのものが、この映画の大目標である「家に送り届ける」に直接は結び付かないこと。
一応シャヒーダーの好奇心からつい物を手にとってしまうことで小さな事件が起きたり、クリケットの応援リアクションなんかで故郷へのヒントを提示する役割はあります。ただそれ自体が、家にたどり着くための行動にはならない。
あくまでもシャヒーダーは小さな迷子で、周りの大人達こそが善き心と責任を持って行動しなければ、家にたどり着かないようなお話であることがポイントです。
その意味で「普通の子供」を身振り手振りで演じられるハルシャーリー・マルホートラさんを、5000人のオーディションから見つけた時点でこの映画は大勝利ですね。
ラスィカー:カリーナ・カプール
バジュランギとのロマンスのお相手であるラスィカー。この人もお話のガイド役として、見ていてとても気持ちがよかったです。
前半部の結婚話なんかはインド映画お決まりの展開ですし、なんならもっとくどいくらいにストーリーの中心に絡めることもできたところを、本作はそうしていません。中盤以降の完全にロードムービー化したあとも、絡んできたっておかしくないです。
しかしあくまで前半部で宗教観念にとらわれるバジュランギを静かに諭し、善き人とは何かを提示して見守るラスィカー。後述する「ギーター」の教えをバジュランギに託したのも彼女ですね。
学校の先生ってこうあってほしいなあの理想像というか。ひとことで言うと女神です。カリーナ姉さんは女神。
チャンドニー・チョークでのダンスシーンなんかは完全に歌のお姉さんです。「Chicken Kuk-Doo-Koo」はNHKで放送すべき。食育と宗教の相互理解をここまで砕いて提示できるって素直に凄い。
公式より「Chicken Kuk-Doo-Koo」
このダンスシーンを導くカリーナ・カプールさんの優しい演技あってこそなので、やはり印象深い助演でした。
チャンド・ナワーブ:ナワーズッディーン・シッディーキー
個人的にMVPはこの人、通称ナワ様が演じるパキスタン人記者のチャンド・ナワーブ。
パキスタン編でのコントのような登場から、ラストの演説、映画の原題「バジュランギ!バイジャーン!」コールの大衆煽動まで大車輪の活躍です。
はっきり言って映画的にはかなり何でも屋です。殴り飛ばしたり見たいなアクション以外は大体この人がなんとかしてくれちゃう。ただ中の俳優さんナワ様が本当に色んな場面に対応できてしまうので、説得力がでてしまう。
とりわけ好きなのが、霊廟で警察に終われる場面。ここでの目付きの鋭さと緊張感、そして冷静に対応しようと観察する表情、実にクール!
どストレートのバジュランギと対をなす、技巧派ナワーブの凸凹コンビはもっと見ていたかったです。
公式より「Zindagi Kuch Toh Bata」
ロードムービーから愛の物語へ
バジュランギとシャヒーダーの交流を描き、家へ送り届けるロードムービーへ向かっていく本作。基本的にはこの二人の関係性を描くドラマです。
しかし本編を見ていると、実は主題がその二人の関係性を深める方向だけではありません。むしろ二人の外に向けた交流に主題がどんどんスライドしていきます。
具体的にはこの映画のゴール地点。延々と旅をしてきて、シャヒーダーを送り届けたところで感動的に終わってもいいところです。しかしそこで物語は終わらせずに、この映画はさらにその先のインドとパキスタンの問題も含んだ、より普遍的なメッセージを湛える方向へ進路を変えます。
言うまでもなくナワーブの演説で示されていた「愛で人は変われる」というメッセージです。
このどストレートなテーマ。物語前半から旅の終わりまで、ハヌマーン神のご加護のもとバジュランギが態度と行動でもって、人々に示していきました。国境線で密入国を手助けするブー・アリや、警備する兵隊までもがバジュランギに胸をうたれて変化していきます。
しかし同時に、彼もまた偏見も含めた思想や教義の中で育った一般人でもあります。ここが本作の素敵な設定だなあと思うのです。
映画冒頭では特にラスィカーから、シャヒーダーの身分や宗派にこだわるバジュランギが諌められます。「そんなことよりも、子供を助けることが優先」だと。
インドの宗教観念を扱った映画として「PK」がありますが、例えるなら「PK」はバジュランギの力とラスィカーの本質を捉える知的さを持つ完璧人間(正確には宇宙人)が世界を変えるお話です。同じインドとパキスタンの問題を含みつつもここは決定的に違うのです。
対するバジュランギは未完成。だからこそ彼らの旅に私たち観客が一緒に同行し、共に価値観の変化を体験できるロードムービーがよく似合う。
そしてバジュランギが一定の経験を積み、成長しきったところで観客の私達は旅の列車から一度下車。
映画内の世界をより俯瞰した位置から見えるように視点をガラリと変えて、カシミールの大団円へと向かいます。この構成への落とし込みかたには唸らされました。
「ギーター」の教え:インドとパキスタン
本作で象徴的に登場する「(バガヴァッド・)ギーター」。映画の中ではラスィカーがバジュランギに対して、宗教は違えど誰しも祈れば神に通じると諭した教えです。
この教えを体現するように出てきたムスリムのモスクでバジュランギ一行をかくまったお爺さん。グラサンにでっかいバイクの登場からして神懸って格好いいのですが、態度と行動で大人とはかくあるべしと見せつけてくれます。
相手の信義信条を問わずに愛をもって接すること、それこそが人を変える。そして実際に劇中のバジュランギもこの出会いが大きな転換であったように思います。
イスラム教に対する偏見が薄らいでいくき、絶望のなかに祈りで希望を見いだすことは国も越えて普遍であると悟ります。
公式より「Bhar Do Jholi Meri 」
この霊廟でのミュージックシーンのあと、やはりバジュランギは「ギーター」を口にするので、この物語全体に通じるテーマだと分かります。
さらに言うとこの「バガヴァッド・ギーター」は、実は叙事詩マハーバーラタにおける大戦争のさなかでの一説です。
このことは先日記事で紹介した「いちばんわかりやすい インド神話」がたいへん参考になりました。

戦士アルジュナが本来身内であるはずの従兄弟や師と敵味方に別れて戦わねばならないことに絶望するなか、クリシュナ神が励まし、鼓舞したことに由来する逸話です。
このことを知っていると、本来は一つであったインドとパキスタンが、カシミール地方の国境を挟んで対峙しているラストシーンはさらに奥行きが増すのではないでしょうか。
「ギーター」をバジュランギに託して遥々と旅をさせ、単に娯楽作としてフワッと見られることを担保しつつも、知れば知るほどその表現の豊かさに気付かされます。
作り手のメッセージを映像、音楽、物語、神話の引用など様々な手法で織り込んだ、全くスキのない作品です。
時間を止めたラストシーンの解釈
あとから知ったのですが、本作のEDはダンスシーンが一曲まるごとカットされているようです。映画を見た人にとってはなんとも幸福なご褒美といった内容で、必見です。
公式より「Aaj Ki Party」
このダンスシーンのオミットは映画的な余韻を優先したことは一つ考えられます。
ただ個人的にはあのラストの、この映画の最も美しい瞬間で時間を止めたということに物凄く切実な願いが見て取れるのではないでしょうか。
一般的に映画の終わり方には「その映画が終わった後も、映画内世界は延々と続いていくような方法」があるかと思います。「Aaj Ki Party」のようにエピローグで後日談がつけられるような形もその一つです。
ただそうはせずに、観客をどこまでも映画内の世界に留めたまま離したがらないかのようなあの時間を止めたラスト。
「Aaj Ki Party」がカットされている事実を考えると、余計にこの作品自体が終わりたがっていないように見えるのです。
作り手の思いとしてギリギリのところでこの作品は単なる神話や絵空事として完成はさせずに、いつまでも観客の中に思い描いてほしい現実的な目標として持ち帰って欲しい。そんな願いが有るのではないかと私は解釈します。
インドとパキスタンの問題や衝突は今もなお、終結していないのが現実です。
映画のあのラストシーンで止まった時間を動かし、シャヒダー達が「Aaj Ki Party」にたどり着くためにも、これを機会に現実の問題を少し勉強をしてみるのがいいのかもしれません。
まとめ:もっと布教せねば!
一個だけこの作品の嫌いな部分を言うと、これは完全に好みなのですが、バジュランギに自白を強要させようとしたパキスタン警察のお偉いさん。この人だけは苦手でした。
「ダンガル」のインド代表コーチにも感じたことですが、他の人物がある程度深みのある描きかたなので、こういうラストの盛り上げのためだけの紋切り型悪役は好きではなかったです。
とはいえ結局はカシミールでの大団円でお偉いさんを見返したのだから、今はこの展開でも納得。
おとぎ話、寓話、あるいは現代が舞台の神話。あまりにも理想的な人間の善を楽しく描いた本作「バジュランギおじさんと、小さな迷子」は色んな形容ができます。
この作品で描いたラストが決してまだ現実になっていないことも含めて大事にしたい映画です。
ぜひ今一度インドやパキスタンの問題を自分の手で調べたり、宗教や神話にちょっとづつ理解を深めてから、もう一度誰かを誘って見に行くのがオススメです(≒インド映画布教がんばりましょう)!
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