原題:Creed Ⅱ
上映時間:130分
監督:スティーブン・ケイプル・Jr
キャスト:マイケル・B・ジョーダン シルベスター・スタローン テッサ・トンプソン
フィリシア・ラシャド ドルフ・ラングレンなど
あらすじ
「ロッキー」シリーズを新たな主人公アドニスの物語として復活させ、世界中で好評を博した「クリード チャンプを継ぐ男」の続編。「ロッキー4 炎の友情」で、アドニスの父であり、ロッキーの盟友だったアポロ・クリードを葬ったイワン・ドラコの息子ヴィクターが登場し、アドニスが因縁の対決に挑む姿を描く。
ロッキーの指導の下、世界チャンピオンに上り詰めたアドニスは、かつて父アポロの命を奪ったイワン・ドラゴの息子ヴィクターと対戦することになる。ヴィクターの反則行為により試合には勝利したものの、納得のいく勝利を飾ることができなかったアドニスは、心身ともに不調に陥ってしまう。
やがて婚約者のビアンカが出産して父親になったアドニスは、ロッキーから父親という存在の大切さを諭され、しばらく一線から遠のくことに。しかし、「ボクシングこそが自分そのもの」と気づいたアドニスは、ヴィクターとの再戦を決意する。
前作から続いてアドニス役をマイケル・B・ジョーダン、ロッキー役をシルベスター・スタローンが演じ、スタローンは脚本も担当。「ロッキー4」でイワン・ドラコを演じたドルフ・ラングレンも同役で出演。監督は新鋭スティーブン・ケイプル・Jr.が務めた。
元:https://eiga.com/movie/89393/
1月12日 なんばパークスシネマにて鑑賞 [ 85/100点 ]
去年2018年に劇場で「ブラックパンサー」を観賞。そこから監督つながりで「クリード チャンプを継ぐ男」(以下「クリード1」)を視聴し、さらい「ロッキー
「ロッキー」シリーズの偉大さに改めて敬服した一方で、去年時点で続編「クリード 炎の宿敵」(以下「クリード2」)の情報は既に出回っていて内容についてはかなり心配でした。
「ロッキー4の頃みたいなステレオ悪役として、ドラゴが使い捨てられるんじゃ・・・ソワソワ」
前作「クリード1」が良かっただけにエンタメ要素全開にしただけの映画にならないかなと危惧していたわけですが、結果その心配は無用でございました。
むしろドラゴ親子の方が好きすぎて最高なんですが。
本記事は主にドラゴ親子の、特に息子ヴィクター・ドラゴに注視し、というか肩入れしながら「クリード2」について考察。
「クリード2」でのイワン・ドラゴ、ヴィクター・ドラゴ親子はロッキーシリーズの紛うことなき主人公であることを証明し、彼らがなぜ今作のような結末にたどり着いたのかを考えます。
本記事は決定的なネタバレを含みます。ご注意ください。
目次
序盤から扱いは映画「ロッキー」の主人公

どう見ても今作序盤のドラゴ親子は「ロッキー」1作目、それをオマージュした「クリード1」ど同じ道をたどっています。
・映画の開幕が薄暗いリングでの下積みファイトシーン
・戦いへの準備完了とフィラデルフィア美術館の階段を登る
・そして人生を変える決戦へ突入
冒頭で、しかも激しいトレーニングシーンもなしに悠然と階段を登ってから風景を一望するあのカット。主人公にしか許されていないシリーズの聖域にずかずかと上がり込んだわけです。それも土足で。
シリーズファンは普通に「なんだこいつは」と不快感マシマシ。私も初見時はそのクチでしたが、完全にドラゴ史観でしか見れない今にして思うと最高にワクワクするシーン。
なぜならこれはドラゴ親子が「主人公」であるという宣言なのです。ロッキー・バルボア、アドニス・クリードが共に通ってきた道を通らせたのだから、その時点で彼らは「主人公」なのです。
メタな視点を入れると「ロッキー ザ・ファイナル」のエンドロールや今作でもチラリと映った一般の観光客が階段駆け上がりやロッキー・ステップを真似するあの画。あれをドラゴ親子にさせているわけです。
「ロッキーのように俺たちだって人生の主人公だ」とつい自分を重ねたくなるこのシリーズ。
誰もがロッキー・ステップを真似したくなり、クリードの言葉を借りれば「俺は過ちなんかじゃない」という思いを多かれ少なかれ誰だって抱えて生きている。
運命の初戦 「クリード VS ドラゴ」

「主人公」ヴィクター・ドラゴの敗北は運命だった
先述したように息子のヴィクター・ドラゴは序盤からロッキーをなぞっている訳ですが、この初戦もやはりそうでした。
例えばアドニス・クリードが途中でアバラを折られるシーン。これは誰が見ても父アポロがロッキーとの決戦でやられたことと符号します。父アポロ・クリードは終盤にロッキーのボディでアバラを折られ、最終ラウンドまでついにロッキーを倒し切るには至りませんでした。
しかし結果だけは判定で勝利。一方の物語の「主人公」ロッキーは結果だけを見ると、敗北でした。ヴィクター・ドラゴも残念ながら敗北を喫することになります。
内容は勝っていたのに惜しいなあ・・・・反則?なんのことだか。
勝利を主張するヴィクター、「主人公」からの逸脱
この敗北についてヴィクター・ドラゴは、本編中のインタビューで「負けていない」と突っぱねた。ここで全ての歯車が噛み合わなくなったと言っていい。
その歯車とは当然「主人公」ロジックの歯車だ。
ヴィクター・ドラゴにとっての「ロッキー1」と言い変えられるこの初戦までの流れ。彼はこの戦いの後で大いに反省すべきだったしさらに前に進むべきだった。
ヴィクターにとっての「ロッキー2」、つまり人生の意味を獲得するだけでなく結果までを追い求める強靭さを求めねばならなかった。本作のアドニス・クリードがそれを押し進めたように。
変化がない限り少なくともアドニス・クリードと対等にすらならない。ロジックとして勝てないのである。ぐぬぬ・・・。
ヴィクター・ドラゴの成長を留めてしまった原因はもちろん明白です。
それは残念ながら毒親と言わざるを得ないイワン・ドラゴ。彼もまたロッキー4の敗北から時間を止めてしまった哀しい人です。
提示された勝利のカギは「戦う理由」
徹底的に対比される「孤独なクリード」と「ドラゴ親子」
この映画の特にクリード側でしきりに、しかも序盤から提示されているのが「戦う理由」についてのお話。これはこの言葉を直接的に口にするロッキーのセリフはもちろんですし、アドニスのお母さんも同様のお話しを劇中でしています。
第2戦に勝つための「強さ」とは何か、そのロジックを序盤から既に定義しているわけですね。
よく誤解されているけどもロッキーシリーズはスポーツ映画ではなく、本質はヒューマンドラマ、すごく広義な家族愛までを含む意味でのラブストーリーだったりする。
だからトレーニングで技術や体力をつけるシーンはあるけども、そこが本質的に勝敗の行方を左右するわけではない。ストーリーや戦う意味を一つ一つ積み重ねた先に勝利が待っているのが「ロッキー」。
なので家族の支えはありつつも、結局は孤独の中でもがきにもがいて走り続けるアドニス・クリードは強い。彼のまわりには多くの仲間がいるけども、人生というのは、本質的には1人でずっと戦い続けなければならない。
アドニスをこの姿勢と境地に導くロッキーはイワン・ドラゴと徹底的に対比される。そもそもロッキーという人物はひたすらこの戦いを40年以上続けてきた男なのだ。
先導しつつ、突き放し、見守る。ホコリだらけになったマスタングに乗るロッキーは厳しくも優しいし、人生の過酷さを提示してみせる。コレを乗り越えてみせろと。
反面、ドラゴ親子のトレーニングは父親イワンが自分の戦う動機、復讐を理由に追い立てるのみ。ぐぬぬ・・・。
「走れと言われたから走る」、「自分を捨てた母親ルドミラを見返す」。一見するとこれはこれで立派な「戦う理由」だけども、「ロッキー」シリーズの主人公はここに甘んじることを決して許さないのだ。
ヴィクターにとってロシア決戦はなんだったのか

試合序盤は”アドニス・クリード”vs”ドラゴの息子”
イワンが復讐に固執する様をあざ笑うように、ロシアでの第2戦は徹底的にこれが親世代の代理戦争ではないことが強調されている。
象徴的なところとして対戦する両者が履いていたパンツのデザイン。
ロシア国旗色で満を持して迎え撃つドラゴに対してアドニス・クリードは父アポロのアメリカ国旗デザインを避けている。
この戦いがロッキー4の再現ではなく、父も師のロッキーも関係なく、己の戦いとしてクリードは挑んだ。
一方のヴィクターは父イワンの幻想でしかない代理戦争の道具扱い。イワンの元妻ルドミラが観戦しにきたこともこれ拍車をかける始末。
かようにリングに上がる以前の覚悟からして、両者の差は明白だった。
ヴィクター・ドラゴはあくまでも「ドラゴの息子」として決戦の舞台にあがった。
持たざる者となり、再びヴィクターは「主人公」へ

ファイトシーン後半での両者の差は、一応スタミナや長丁場のラウンドを経験などで理由付けはあったものの、結局は精神の勝負。この映画のロジックはあくまでもドラマにおける成長が鍵を握るのです。
序盤は押していたヴィクターでしたが、崩れ去るときは実にあっけない。
母ルドミラが会場から退場し「戦う理由」まで奪われた時になって、ようやくヴィクターはこれまでの自分の脆さと虚しさを知ります。
立ち去ったルドミラはもちろん、父イワンも本当の意味で自分を見てなどいないことを突きつけられます。この瞬間のヴィクターは完全に何者でもない、持たざる者でした。
でもそれで良いのです。持たざる者こそ「ロッキー」映画の「主人公」たり得るのです。
孤独な戦いをはじめると決意したヴィクター・ドラゴのそれは「俺は過ちじゃない」という前作のアドニスにおける自己存在の証明、特に特定の親に対する主張という点で同じです。
こうして土壇場でようやく「アドニス・クリード vs ヴィクター・ドラゴ」の対等な決戦が始まります。
アドニス・クリードから見れば、最終盤のヴィクターは過去の自分と言ってもいい。
強敵には違いないが、しかし残念ながらアドニス・クリードは既にその先へと成長を遂げていました。親や他者に依らずに、孤独な人生の中に自己を確立する事。
ヴィクターはまだその段階ではなかったのです。やはり勝てるはずはない。
ただ幸運なことに過去のアドニス・クリードと違うのは、父は存命だということ。今まさに自己を証明しようともがく姿を見せる事ができるのです。
ヴィクター・ドラゴは父親イワン・ドラゴの理解と助けを必要としているし、タオル投入はヴィクターの主張にイワンが親として応えた瞬間でした。
子は親の背中を見て育つ
エピローグのドラゴ親子のトレーニング。
親子が共に走りだし、父イワンが少し前に出たところでようやく追いたてる側から先導する立場に変わる。
果たしてヴィクターの目に、父イワンの背中はどう見えたのだろうか。
次回作は絶対に勝つ
本作がドラゴ親子にとっての「ロッキー1」、「クリード1」だとしたら再三申し上げているロッキーのロジック的に次回作での勝利は確定。次の登場があれば絶対勝つ!
いや、もしかしたら本作も相当にクリードを追い詰めていたので、5回くらい見てたら1回くらい勝つんじゃないか…。
それほどまでに、結果が見えていても心臓がバクバクする熱い激闘。両者ともに負けてほしくないと思える対立構造も見事です。
何よりステレオタイプ悪役だったイワン・ドラゴに「子を救うことで自己の人生を肯定させる」という、映画として重層的な救済をしたのは圧巻です。
個人的に年間トップ10級の作品に早くも出会ってしまった感があります。
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