原題:Hotel Salvation
上映時間:99分
監督:シュバシシュ・ブティヤニ
キャスト:アディル・フセイン ラリット・ベヘル ギータンジャリ・クルカルニ パロミ・ゴーシュ ナブニンドラ・ベヘルなど
あらすじ
インドの新鋭シュバシシュ・ブティアニ監督が弱冠27歳で手がけ、ベネチア国際映画祭などで賞賛されたヒューマンドラマ。雄大なガンジス河を背景に、誰にでもいつか訪れる「死」というテーマを、ユーモアと人情味を交えて描いた。ある日、不思議な夢を見て自らの死期を悟った父ダヤは、ガンジス河の畔の聖地バラナシに行くと宣言する。家族の反対にも決意を曲げないダヤに、仕方なく仕事人間の息子ラジーヴが付き添うことに。
安らかな死を求める人々が集う施設「解脱の家」にたどり着き、ダヤは残された時間を施設の仲間とともに心穏やかに過ごそうとするが、ラジーヴとは何かと衝突してしまう。しかし、雄大なガンジス河の流れが、次第に父子の関係を解きほぐしていく。
引用元:https://eiga.com/movie/88447/
1月26日 塚口サンサン劇場にて鑑賞 [ 85/100点 ]
切なくも幸せな感情にさせてくれる不思議な映画
2018年暮れに話題になっていたインディペンデント系インド映画「ガンジスに還る」。
遅ればせながら見てまいりましたが、予想以上の完成度を見せつけられる傑作でした。
「これほど死を強調したテーマながら、爽やかな気持ちで見終わる映画も珍しいなあ」というのが見終わった時の率直な気持ちです。
劇中にはインドの生活感満載な家族での食事シーン、死期を悟った父ダヤと息子ラジーヴの凸凹コンビな生活、どこを切り取っても絵になるバラナシの風景・・・。
そのどれもが平坦なテンションで、しかし全く退屈のしないシーンの連続。なんだこれは。
監督は新進気鋭の20代、シュバシシュ・ブティヤニ。劇中の「解脱の家」のような施設をいくつも回って取材をし、そこで得られた素材をもとに脚本が書かれたとのこと。
セリフは最小限、綿密な取材に基づいた「解脱の家」の暮らし、荘厳なガンジス河を背景に語られる静かな物語。
「人はどのように死ぬのか」という普通に考えれば重たいテーマになる所を、くすっと笑えるユーモアをはさみながら、テンポよく見ることができる作品です。
本記事はネタバレを含みます。ご注意ください。
画で伝わる家族の距離感
この映画、とにかく画で人物の関係や心情を表現している場面が多いです。セリフで何かを説明するよりも、画による訴えかけ、あるいはお話の推進がなされているように見えました。
冒頭の父ダヤが牝牛の寄進をするシーンなんかは特に好きですし、ウマイなあとよだれも出そうになります。
ダヤはバラナシで最期を迎えたいと言い出すくらいなので、昔ながらの信仰を当たり前のようにこなすし、司祭様の言われるがままにコトを進める。
一方で息子家族の3人は、どことなく父ダヤと距離感があります。儀式が終わればそそくさと出かけてしまうし、司祭様がしきりに言うことも迷信程度の受け取り方。
孫娘のスニタが「うしさんカワイイ!」って感じでスマホでバシャバシャ写真を撮っていたのも微笑ましいし、キャラの性格がしっかりと分かる場面で好きです。また、登場する3世代が、それぞれヒンドゥー教の観念に対して考え方が異なるということも分かります。
最終的に中央に残されたダヤ以外に誰もいなくなり、ゆっくりと画面が引いていきます。
このショットの寂しさというのが孤独感をしっかり表現しつつ、「牝牛を納めることに意味なんてあるんかいな」という息子家族の視点で見てしまう自分としては滑稽な雰囲気さえ漂っているように感じました。
あるいは、ラジーヴと妻ラタが寝室で会話をしている場面。
妻ラタが「いつ頃死ぬの?」と何度も聞く不謹慎さにも若干笑ってしまうのだけれど、二人の間に手前の柱が写り込んでいて、ダヤの強行なバラナシ行きに対して夫婦の考え方も隔たりがあることが目で見える。
終始この画作りによって人物の関係性をさりげなく織り込んでいます。ゆったりとした場面でも、実は人物の心情が動き続けていることで観ていても退屈しないのです。
バラナシへ向かう途中、カモさんの群れに餌をやるダヤも個人的に大好きなシーン。
単純に餌をやるのが画としてかわいいのと、タクシーに乗り込んだ後もまだ名残惜しそうに窓から顔を出して見送っているのも微笑ましい。しかし映画を見終わってから深読みすると、ダヤがこの段階ではまだ繁栄や家族、生に対して執着や名残があるようにも見えるので不思議です。
「ガンジスに還る」公式予告編より
清濁併せ呑むガンジスの物語
お話は至ってシンプルで、基本的にはちょっとワガママな昔気質の父ダヤと働き盛りの現代の社会人である息子ラジーヴの凸凹コンビな共同生活が中心。
この息子のラジーヴというのが、日本に住む一般社会人の私としては視点として一番共感してしまいました。
バラナシにたどり着くまでのタクシーの相乗りでとっても窮屈そう。街中でリクシャー(3輪タクシー)に乗り換えた後は、下り坂では自分は座席から降りて車を支えながら下っていく。
見てるだけで「しんどそう・・・」と同情し始めた私です。
さらに、予想通りの自給自足生活a.k.a介護生活をする「解脱の家」がどう考えても15日間なんか居たくない場所。
既に住んでいるのであろうお爺さん2人に「事務所はどこ」と訪ねて、その返答が「→」「←」とバラッバラな指差し。
解脱の家の施設長ミシュラはなんとも胡散臭さしかないし、肉や魚や酒はだめだけど「大麻いりラッシー」は地元の名物だからオッケーと言ういい加減さ。指定された部屋は何もないし、汚い小部屋だし・・・。
映画だから見てるコッチは面白くなりそうな予感しかしないわけですが、自分の立場なら絶対に嫌だろうなと思うわけです。
でもラジーヴは渋々でも父に付き合う、なぜなら家族だから。
家族の束縛とそこからの脱却はよくある葛藤ですが、この映画はとても両者のバランスがうまいです。
家族や古くからのしきたりに従うことが良いとも、ただ現代的な社会で自由に生きることを良いとするでもない。
インドの結婚はボリウッド映画でも定番ですが、この作品では孫娘のスニタは決まっていた結婚を破棄して就職を選びます。ここは今時な考え方を象徴するところでしょうか。
ここのビデオ通話のやり取りもシリアスながら半分コントのようで笑ってしまう秀逸なシーンで、最期に電話が切れた時のスカイプ音できっちりオチもつける。
じゃあ笑って済ませるかというとそうではなくて。この後のラジーヴとスニタはまともな会話がありません。
父ダヤを置いて帰ってきたラジーヴに「おじいちゃんを独りにしないで」と、スニタが釘を刺すのみ。すっごい気まずい、見てるだけで胃がキリキリ。家族って大変だ・・・。
さりげなく伏線を回収する匠!
いろいろと家族の葛藤がありながら、娯楽映画のように明快な事件解決があるわけではないこの映画。ですが、伏線として置かれていたものをきっちりと回収しているという点でスッキリと畳んでくれる後味がとても良い作品です。
前段の会話の後「あ、亡くなったのか・・・」と、あまりの唐突さで呆気にとられてしまう場面のジャンプがあります。
寝ているラジーヴ夫妻のそばを風が吹き抜けた後、「解脱の家」の柱に享年を書き込むラジーヴへ場面と時間が大胆に飛躍。
序盤から家とバラナシの往復についてしっかり描写をしたからこそ、ここの突然の切り替わりには現実感がないのです。地に足がついていない心情が表れています。
そして先ほどは険悪なラジーヴとスニタが、父ダヤの書いたとんだホラ吹きな死亡広告の記事に二人して吹き出してしまう。記事の途中からは読むこともできない大笑いです。
娘との間で何かを乗り越えたとかいうでもない。なんとなく面白い場面や哀しい場面に陥った時、いつの間にか同じ方向を向いて一緒に笑ったり泣いたりしている。いかにもな創られたドラマとは違って、家族って本来こんなもんだろうなと思わせてくれる。
後からやってきたラタが合流して、やはり笑いながら3人は部屋を後にする。
息子家族に団らんが戻るのと同時に、冒頭と違って画面に取り残される者はもういない。いなくなってしまったんだな、という寂しさが漂います。
葬儀のパレードで遺体を担ぐラジーヴも、個人的には冒頭のリクシャーを思い起こしてしまいました。父の重みを感じながら河に向かう下り坂です。
しかし重たく湿っぽい終わり方になるのかと思いきや、スニタをはじめとして明るく手を叩き華々しく送り出すパレードの一行。インドの、ここバラナシでの葬儀ならではです。
家族と人生への賛歌だけ残して幕を引くラスト、鮮やかな手際です。
まとめ
物語もさることながら、描写の丁寧さ、画作りの旨さで魅せられてしまう完成度の高い映画でした。切なくも幸せにしてくれる映画でした。
一般的に認知されるような、ボリウッド的な作品の文脈とは乖離しているのですが、ボリウッド映画が好きな人にも見てほしいなあと思うので、機会があるごとに勧めてみたい万人向けの小規模作品ですね。
インドにおける生活感や人生観などを垣間見れるという点でも貴重な作品かと思います。
あと、食いしん坊の私としてはカレー及びインドの食が豊富かつ頻繁に登場するのが高ポイント!
2019年1月現在、上映館は限られてきています。近所で上映していれば鑑賞後に行くインド料理屋さんを決めてから、見に行くことを勧めたい作品です。
↓食事が登場しまくるインド映画大作!内容も素晴らしいです↓
↓これもA1クラスのインド料理が登場!内容もA1クラス↓
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