原題:Avengers:Endgame
上映時間:182分
監督:アンソニー・ルッソ,ジョー・ルッソ
キャスト:ロバート・ダウニー・Jr,クリス・エバンス,マーク・ラファラロ,クリス・ヘムズワース,スカーレット・ヨハンソン,ジェレミー・レナー,ドン・チードル,ポール・ラッド,ブリー・ラーソン,カレン・ギラン,ジョン・ファブロー,ブラッドリー・クーパー,ジョシュ・ブローリン,真田広之など
あらすじ
アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルクといったマーベルコミックが生んだヒーローたちが同一の世界観で活躍する「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」の中核となるシリーズで、各ヒーロー映画の登場人物たちが豪華共演するメガヒット作「アベンジャーズ」の第4作。
前作「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」で、宇宙最強の敵サノスに立ち向かうも、ヒーローたちを含めた全人類の半分を一瞬で消し去られてしまうという敗北を喫したアベンジャーズが、残されたメンバーたちで再結集し、サノスを倒して世界や仲間を救うため、史上最大の戦いに挑む姿を描く。
「インフィニティ・ウォー」では姿を見せなかったホークアイ、アントマンといったヒーローも登場し、新たにキャプテン・マーベルも参戦。監督は前作に引き続き、アンソニー&ジョー・ルッソ兄弟が務めた。
引用元:https://eiga.com/movie/84951/
4月26日 アレックスシネマ高槻にて 2D字幕版
5月1日 TOHOシネマズなんばにて IMAX3D字幕版を鑑賞 [ 100/100点 ]
翌日に新居へ入居&引っ越しが控えている上に荷造りも終わりきっていないそんな無茶苦茶なスケジュールの中、睡眠時間を削りつつ仕事終わりのレイトショーで初日に駆けつけました。
いち早く見られて幸せなのと同時に、安定の(そして独身最後の)一人映画ということで見終わったあとに語り合える人が誰もおらず。この点は後悔しました、本当に!
語り合ってなんぼの映画、過去全作品のマーベル・シネマティック・ユニバースに思いを馳せずにはいられないそんな映画でした。満点です、満点。それ以外に言いたいことないです。
見終わった直後は語彙を失うのと同時に、やはり内容について何も言いたくないので「凄かった・・・」しか言えない廃人状態でございました。
凄かった…凄かった…ああ凄かった…
— ムービニアンズ@趣味映画ブログ (@movienians) April 26, 2019
私事ながらこの作品を見た時期が引っ越し&結婚準備の真っ最中だったこと、見てからかなり時間も経ているので、今回もさっくりとした感想が中心です。
本記事は決定的なネタバレが含まれます。ご注意ください。
MCU、そしてキャップが好きで良かった
私がMCUを追いかけ始めたのがほんの3年前ほど。
劇場初観賞は「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」で、その当時の全作を予習してから映画館に駆けつけました。
MCUはトータル11年間、現在全22作品にのぼるわけですが、「アベンジャーズ/エンドゲーム」を見た感想としては比較的”歴”の浅い私でもMCUにハマって良かった、感謝&感謝しかなかったです。
とりわけMCUを本格的に見始めた時から、キャップことキャプテン・アメリカ(クリス・エバンス)が個人的には最も好きなキャラクターでした。
以前から思っていたことですが他のヒーローは3部作形式できっちり単独3作品だったのにもかかわらず、キャップの3作目「シビル・ウォー」は実質のアベンジャーズ2.5と言った内容で、彼の単独ラストがこれでいいのかと疑問を持っていました。
なので、本作の主人公っぷりや諸々の大活躍ぶりに、ただひたすらに感涙でございました。ずりぃよ、、、ずりぃよこんなの、、、
「インフィニティ・ウォー」のラストから鮮やかに着地!
ところで今作は前後編の後編にあたるわけですが、前編「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー
サノス、つまりは敵の大ボスを主人公に据えてその歪んだ固い信念で覇道を突き進む様を描いた“逆ヒーロー映画”。あるいは単純に「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲
ただ何れにせよ今回の後編「エンドゲーム」有りきな内容だったので、この待たされた一年間はヤキモキと案じてばかり。この先どうオチをつけるのかと。
結果はMCUの11年間を総じて振り返りつつつ、22作品を抱えているからこそできる伏線回収で演出。前編「インフィニティ・ウォー」どころかMCU全てを補完し、ひとまずの完結を達成してみせました。
この一年間のヤキモキを返せ!と言いたいくらいにアッサリと、鮮やかな着地に持っていかれて、まあなんと格好いい映画なのかと。感心を通り越してエンドロールでは陶酔状態でした。
それにしてもこの伏線回収と各作品の設定や小ネタの扱い方の見事さよ・・・恐るべし。ルッソ兄弟を筆頭とした「キャプテン・アメリカ(ウインターソルジャー以降)」シリーズの監督脚本チームの巧みが光ります。
過去の21作品すべてを伏線にしてしまったテクニック
一般的に良い伏線の張られ方とは「伏線となるアイテム、アクション、あるいは場面」が、初めて登場した場面において、その伏線要素単独で機能することに秘訣があります。
前半や中盤では単なるガジェット、または笑えるギャグ要素などで十分に機能していることが求められます。のちに再度引用したときに別の意味や機能を伴って立ち上がることで、カタルシスをもたらします。
その意味で今回の「エンドゲーム」は、これまでの作品の全てを伏線として扱うことに気のてらいがありません。全作品の予習は必須です。
例えば超重要シーンのキャップがムジョルニアを使う戦いは「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
「エンドゲーム」はこのジョークに過ぎなかったワンシーン(でも本当にハンマーを持ち上げて戦ったら熱いだろうなという、観客のほのかな願望もあったシーン)を、追い込まれたここぞの窮状場面で意味をもたせ、成就してみせました。
この過去のネタを扱うというのはリスキーで、例えば少し前に公開された「キャプテン・マーベル」は残念ながら、この点で少し下手だったなと思うのです。

「キャプテン・マーベル」の舞台が、他作品より時間軸が前に戻る作品だというのもありますが、どうしても設定の答え合わせ(あの秘密は実はこういう理由だったのだ!)や一発ギャグ(小ネタ出してあげたよ!面白いでしょ!)だけで、主軸のお話(メインキャラの葛藤やドラマ)には絡まずに処理されてしまっていたのが残念でした。
「エンドゲーム」が巧みなのはこうした内輪ネタを、「エンドゲーム」の作品内における主軸の物語にがっちり組みつけている点が素晴らしくって。
というか偏執なまでに徹頭徹尾それをやるので、ちょっと怖いです。安易に「このネタ出しとこうぜ(笑)」とか絶対やらないし、事実やっていない。
「このネタによって今作(エンドゲーム)でどういう影響を与えよう」を全部考えている。しゅごい…。
お陰であらゆるあらゆる小ネタが単なる小ネタで終わらず、何かしら本作内でキャラの関係性や成長の前進や変化に繋がっているので「22作品どれも欠かせない」「11年間見てよかった」「感謝しかない」という感想に至るのでしょうね。少なくとも私はなりましたよ!
MCUの本質は過去に起きたことを無かったことにしない、実在する人生のように様々な要素がリレーされていくことに魅力があります。エンドゲームはまさにそれは体現しました。
全ての答えは「1970」に。

この映画で個人的に一番推したいのは1970年のS.H.I.E.L.D.基地に、スティーブ・ロジャースとトニー・スタークが潜入する場面です。
何故ならこの潜入場面一つに、実質主人公たるトニー&スティーブが辿るべき運命を明示していたことがその理由です。しかもその表現があからさまにならない、ギリギリを突くあたりが巧み!
まずもって二人のドラマが「二度と会えない人との再会」というテーマで、見かけ上はエモエモに語られ、その卑怯なまでの催涙攻撃で感動の再会を装っています。ずるい!ずるいぞ!
しかしこの場面の本質はその再会ではありません。
本作の映画としてのゴールである「如何にして、今までの二人なら絶対に取らなかった選択を取らせるか」を左右する超重要シーンです。
シリーズ初期は特に奔放で、本作守るべき子供までいる故にタイムトラベルも敬遠していたトニー・スタークが、究極の自己犠牲でもって大多数の命を救うために下した決断。
あの決断を下すには、やはり国や他者のために研究へ没頭した父ハワードの言葉が必要でした。「大義のために、個人の幸せを犠牲にする人生」についてですね。
またスティーブ・ロジャースも同様です。任務のために全身全霊で全てを投げうってきた男が、人生の最後に自分の為の決断をするという選択。トニーが取った行動とはある意味間逆なのも、良い対比になっています。
しかしスティーブ、もとい全力任務中のキャプテン・アメリカというのは取り分け厄介です。実際に、もう目の前にいて簡単に声がかけられるペギー・カーターにさえこの1970年の潜入シーンでは何もしませんでした。
そもそもペギーのオフィスに入ったのも偶然です。入る原因を作るのは、エレベーターで乗り合わせた女性職員のモブ。完全にスティーブをペギーのオフィスへ偶然入れるためのギミックとして、割りきらて作られた人物でしょう。
これを逆算して考えると、本作の作り手たちは「偶然でもない限りキャプテン・アメリカは任務中に、私事でペギーのオフィスに寄り道は絶対にしてくれないキャラだ」と想定していることが伺えます。
そのため本作ではキャップはラストへ向けてこの偶然の再会要素一つ以外にも、序盤から懐中時計の写真などペギーに関わるアイテムを何度も登場させてジャブを打ち、彼の内的な欲求を刺激していますし。
あるいは「好きな人生を生きる」ことについて、後に亡くなるナターシャから「お先にどうぞ」と言われています。本作のかなり序盤ですね。「ウインターソルジャー」「シビル・ウォー」を見た人ならご存知、ナターシャはキャップのプライベート事情をよく知る人物なのでこの言葉も重みが増しますよね。
こういったジャブはキャップのみならず、我々観客にも同様の効果を生みました。「そういえばキャップはペギーについてずっと葛藤を抱えていて…」ということを思い出させてくれます。
言い方によってはワガママとも言えるラストの「好きな人生を生きる」選択について、何一つわだかまりのない納得を持って、私は見送ることが出来ました。
序盤から何度も撒いてきた伏線と、「1970」で実は明確にしていたこの映画のゴール設定があったからこその感動のラストでした。キャプテン・アメリカのいない世界は寂しいなあ・・・。
まとめ:この映画をいま映画館で見られた幸せ

キャプテン・アメリカに寄りすぎていたので最後に少し他のことも少々。
不満点でいうと、日本の描写はどうなんだというのはやっぱりあります。東京というか、あれじゃネオサイタマですし。ローニン(ホークアイ)も言ってることやってることが只のニンジャスレイヤーというか何というか。
ジェレミー・レナーの日本語も何を言っているのか聞き取りづらくてノイズです。総じてここの場面、日本人である私ははっきりと出来が悪いと思いますし、嫌いです。
ただ場面の機能として、ナターシャが迎えに来たときにソウルストーン入手時のメロディがうっすら流れたりと、演出面での仕込みなどはいい仕事しているんですよね。ぐぬぬ。
そしてその肝心の、見方によっては救いのない不憫な扱いだったブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフが死んでしまうあの場面。ソウルストーンのために犠牲になった彼女ですが、このソウルストーン入手の過程が「インフィニティ・ウォー」の描写と真逆なのが素晴らしかったと個人的には思います。
「インフィニティ・ウォー」のサノスが「愛する者の犠牲すら肯定する覇道」なら、「エンドゲーム」のナターシャと共に来ていたホークアイことクリント・バートンは「何があっても互いを守り抜く」という本作におけるヒーローかくあるべしの象徴ですね。
MCU全体が提示したいテーマとして納得ですし、今後もこの希望ある明るいテーマを基底とした多種多様な作家たちによる作品群が待ち遠しいです。
「一個の映画作品としてどうなんだ」という批判的な見方もあるかと思いますが、全てが連なった「大河ドラマ風の映画」としてこれ以上ない表現を見せていただけたので、幸せでした。私は100点以外につけようがないです。
次の「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」も絶対見るぞ!
公式より「アベンジャーズ/エンドゲーム」を見た人向けの新作「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」予告編!


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