原題:Rab Ne Bana Di Jodi
上映時間:164分
監督:アディティヤ・チョープラー
キャスト:シャー・ルク・カーン アヌーシュカ・シャルマ
10月14日 塚口サンサン劇場にて&その後にBDで何度も鑑賞 [ 100/100点 ]
本記事を執筆している2018年12月の下旬現在。今年の映画納めが一体どの作品になるかそわそわしている季節で、今年の「映画マイベスト10」をぽんやり思い浮かべている人も多いのではないでしょうか。
そんな年も暮れという中、今回は10月に視聴したインド映画について記事を書きたいと思います。
その名も「神が結び合わせた2人(原題:Rab Ne Bana Di Jodi)」
このタイミングで書くのはブログの開始が本作を見た後だったのが一つ。
そしてもう一つはこの映画を最初に見て以来、私の2018年1位から全く揺るがないからです!
その後も英語版ブルーレイを取り寄せて何度も視聴し、サントラも買って、Youtubeでミュージカルシーンをリピートして・・・が続いております。もう惚れてしまってどうしようもないのです。
12月中にまだいくつか見る予定の作品はあるものの、多分このまま1位になっちゃいそうなので、このタイミングで私個人が惚れてしまった理由を綴っておきたいと思います。
本記事は、私が本作の大好きな部分を語るだけな上に決定的なネタバレを含みます。
ご注意ください。
あらすじと設定が魅力的
ICW(インディアン・シネマ・ウィーク)2018で鑑賞する前から、私のインド映画の師匠(当ブログのイラスト作者)から本作のあらすじについては何度か聞いていました。
その時点で聞いていた映画の導入と設定が、それだけで超面白い!
てか面白くならないわけないでしょう!
さえないサラリーマン男の主人公スリー(シャー・ルク・カーン)。彼は美しい女性ターニー(アヌーシュカ・シャルマ)と結婚した。
妻のターニーは本来は別の相手との結婚をする予定だったが、式の当日に相手と家族を事故で失ってしまう。スリーはそんな彼女を半ば身元を引き受ける形で結婚することになったのだった。
傷心のターニーは「愛することはできない」と明言する一方で、すでに一目惚れしていたスリーは次第に恋い焦がれる思いを強くしていく。
ある日ターニーは気分転換にダンス教室へ通うことに。そこでスリーは自身もダンサー風に変装してその様子を伺いにいく。静かにダンスをする妻の様子を見守った後、家で驚かせるつもりだった。
ところが運命のいたずらか、抽選でターニーのダンスパートナーとして選ばれてしまった変装したスリー。とっさに”ラージ”と名乗りバレずにすんだ彼は、その後も妻と楽しくダンスする機会を逃すまいと、スリーとラージの二重生活を続けることに。
かたやターニーは、夫のスリーよりも突き抜けて明るい性格のラージに段々と心を開き、惹かれていくのだった・・・。
全っ然さえない夫が「妻が笑顔を取り戻してくれるなら・・・」とダンス教室のお金を出し、妻の大好きなボリウッドスター風の衣装に変装して惚れてもらおうと頑張り倒す。
だけど頑張れば頑張るほど、妻の心は本来の自分”スリー”ではなく変装した”ラージ”に傾いていくって、どんだけ面白い設定だよ!
最終的な結末はもちろん、この突拍子もない設定をどう処理していくのか気になって仕方なかったのです。ことによっては超悲壮な展開になるのか、それとも荒唐無稽のボケ倒す軽い作品になるのか・・・。
結論としては、自分が見てきた全ての娯楽インド映画(めっちゃ限られた数ですが)の中で人生ベストの大傑作。言わずもがな今年見た2018年映画の中でもっとも楽しく、どの作品よりもボリウッド映画らしく、何よりも普遍的な「愛」について描ききってしまった映画だったのです。
ようこそ映画へ。観客をいざなう導入部
オープニングだけでゴルガッパ10皿はいける!
この映画を語る上で欠かせないのがオープニング(以下、OP)です。ここがまず最高!
ジャンルとしてはロマンティック・コメディ(ラブコメ)に属する本作ですが、その入りには虚を突かれるほど静かな始まりを見せます。
舞台となるパンジャーブの黄金寺院を皮切りに商店街や畑などが映し出され、「あれ?これドキュメンタリー映画?」というほどにリアルの生活風景が続きます。そしてこの生活風景から駅のホームで本作の主人公が列車から降りてくる画に続くわけですが、この引き込み方が素晴らしい。
このお話が「現実と地続きに、もしかしたら世界の何処かにあり得そうな気がする」という錯覚をあたえてくれます。リアルな寓話として、現実との接点になっている。
観客目線で言い換えれば、
「映画を見ている私」→「リアルな映画の舞台」→「主人公が登場して寓話が始まる」
とゆっくり移行してくれています。「昔々あるところに」という枕詞と同じ効果ですね。
さらに主人公の登場も見事な手際の良さで見せきります。
足元にクロースアップして白いスニーカー、グレーのパンツ、白いシャツはズボンにINと見せる。この時点でなんかダサイ。
そして電力会社ロゴの入った肩かけカバンが一瞬映り、七三メガネの中年男性の表情はなんだか自信なさげで伏し目がちです。
リアルな風景から続けてこのシーンがあるので、彼もまた「この世界の何処かに居そうな、冴えない男」という印象を与えてくれます。というかこの冴えない具合で「あ、俺たち側の奴だ」と完全に感情移入してしまう私。
一緒に降りてきた女性は鮮やかな赤色を身にまとっていて男性側とは全く似つかわしくない程対照的。この綺麗な衣服は花嫁衣装なのか?
新婚夫婦?しかし表情はやけに暗い・・・。
2人がホームに降り立った時点でセリフは一言も無し。
なのに!ほとんど状況もわからないのに、列車から降りてきた見た目が不釣りあいの男女に物語を想像せずにはいられない!
初見時はこう思いましたよ。「これは傑作特有のやつだ・・・」と。
リアルを揺さぶる「Haule Haule」
ここまでのOPを含めて、特にスリーのパートは地に足がついた演出で進むところが本当に強い。この映画の絶対的な地盤になってて心強いのです。さすが「俺たちのスリー」冴えない男子の代表だぜ!
なので中盤からラージとしてめちゃくちゃテンション高めな芝居をしても、物語の芯を語る時にはスリー側パートに引き込んで軌道修正が図られています。このタイミングもめちゃくちゃうまい。
さらにこのラージ登場までの過程もすごく丁寧で、最初のミュージカルシーン「Haule Haule」はラージの世界への案内役として機能しています。
公式より「Haule Haule」
現実世界に近い位置にいるはずの「俺達のスリー」が妄想や願望の入り混じった不思議な空間とリアルな世界を行ったり来たり。なんともクラクラする、しかしスリーの内面も反映した楽しげで優しい表現。
映画開始から30分程度に位置するこの「Haule Haule」。OPから築いてきたスリーという地盤をあえてぬかるませて、映画全体のリアリティラインをゆっくり押し下げてくれています。このワンクッションのおかげでラージの登場もアリに見えてきてしまう。
ここまで丹念に静か目なドラマとして進行してきた本編から、いよいよボリウッド映画の世界へ舵取りです。
ドラマとコメディの往復旅
「シャー・ルク・カーン」を使う
「Hule Haule」の現実と空想の行ったり来たりが象徴するように、映画本編もスリーとラージの二重生活で構成されています。
ラージに変身したときのテンションの振り切り方は本当におかしくて、お上品にしていたOPは一体何だったのかというくらい。端的に言うならアホか!ってくらいにやる。
メタな意味で「ザ・スーパースターとしてのシャー・ルク・カーン」を使い倒している。そこにてらいがないのが最高ですね。
公式より「Phir Milenge Chalte Chalte」
「Phir Milenge Chalte Chalte」はターニーの夢の中という設定をいいことにやりきった感あるアゲアゲミュージカル、完全なサービスシーン(アイテムソング)です。
(「Rab Ne Bana Di Jodi オマージュ」でGoogle検索すると、これが膨大なインド映画作品へのリスペクトであることも様々な先駆者様が解説されています。)
さらには「Dhoom(チェイス)シリーズ
しかしこのラージパートというのは、古き良きボリウッドへの愛というのがしっかり表れているなあということも分かります。
先にあげた「Haule Haule」のシーンにも、ラージの名前の由来になったへんちくりんアクション映画や「ムトゥ 踊るマハラジャ
このおバカとも思えるようなアクション描写やキッチュな面白さというのは娯楽系インド映画が通ってきた正史でもあります。
おそらく今でも世の大半の日本人が抱きがちな「インド映画全般のイメージ」は、良くも悪くもこの手の誇張した表現を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。
しかし「神が結び合わせた2人」はここから目を背けないどころか、これをあえてやる!見せまくる!
シャー・ルク・カーンの演技がまさにそうであるように、誇張した演技や表現をてらいなくできるという面白さに、ものすごく胸を張っていると思うのです。本当に誇らしげなまでに。
欧米的なよく出来た映画もやろうと思えばできる。現に序盤はそれができているし、オフビートなコメディとして仕上げる力量も余裕でありそう。
なのに「インド映画の娯楽作品としてのアイデンティ」から逃げずに、今にしてみれば無茶苦茶とも言えるような昔ながらの誇張表現さえ飲み込んで、正しく継承してみせようという気概が本当に格好イイの一言なんです。
現実へ引き戻す印象的な「食卓の構図」
こうした娯楽作品としてのお約束をきっちり果たしつつも、この映画は定期的に語るべきスリーとターニーの物語へ立ち帰ります。
そのキッカケはご存知、本作を見たら絶対に記憶に刷り込まれてしまう「食卓シーン」ですね。ああ、語るのもつらい。
画面の両端に、長いテーブルを挟んで向かい合うスリーとターニー。
照明はやや暗め、音楽も他と比べるとひどく抑制的です。
背景や時折映る手前の柱などの配置はほぼ完全な左右対称で窮屈な印象を与え、
やや不安な雰囲気や緊張感が常に漂っています。
オーソン・ウェルズの「市民ケーン
しかし「神が結び合わせた2人」では何度もこの食卓シーンはあるもののその距離は縮まりもせず、離れもしません。
いくら映画が進んでも、「俺達のスリー」がどんなに健気に頑張っても、微動だにしないのです!ああああつらい!!
こんなにつらいなら、いっそ離れてしまえば・・・と思ってもそうはいかない。
この構図は彼ら2人の背後が画面端でとぎれ、彼らがこの結婚から逃れられないかのような暗示に見えます。どれだけ理不尽な境遇だとか、愛が痛く苦しいと言おうとも2人は対峙しなければならない。
この食卓シーンを見るたび「監督、あんた本当に意地悪で最高だな!」と思います。しかも本当に映画が終わる最後の最後まで、この「食卓シーン」において二人の距離は変化させない。
ともかくこの強烈に印象的な画でもって、映画のリアリティ部分を受け持つスリーのパートに引き込みつつ、ターニーとの緊張感ある関係性をしっかり浮かび上がらせる本作。
このニッチもサッチも動かない状況をどう動かすのか。
先程も言ったように最もインド映画らしい方法を継承した上で、ラストで畳みかけるように解決してみせます。
音楽、歌、そしてダンスを最大限に使って、映画らしくアクションで語るんですよ!
ラストシーン「Dancing Jodi」を語りたい!
自分インド映画史上、最も緊張感のあるダンス
行き着く先がハッピーエンドだと半ば分かりつつも、こんなにも張り詰めた空気の立ちこめるダンスシーンってありえるのか。
この緊張感はダンス競技会の決勝だからという理由じゃなく、本当に劇中のスリーとターニーの関係性がこのダンスシーンによく表現されているからだと思うのです。
いやむしろ関係性どころか、この映画のストーリー展開から感情の変遷も含めて全てをこのシーン一つで語る驚異の4分間です。
振り向いてほしいスリーと困惑するターニー
「Dancing Jodi」はついにラージの正体を明かしたスリーと、それに驚くターニーの対峙から始まります。
そしてイントロと同時に先に手を差し出すのはスリー。物語冒頭からアピールし続けた彼の姿を想起させます。
対するターニーは手を取りつつも困惑した表情で踊りはじめます。やはり冒頭の薄暗い表情の中で結婚生活を始めた彼女のことを思い起こさせます。
その後2人は一度離れ、距離を保ちつつグルリと歩くのです。互いの間合いを測りかねるかのように。
ラージの正体を察しているはずのターニーには笑顔はありません。同様にスリーにもラージのような笑顔はありません。
このダンスシーンに通じて言えることですが、ラージとターニーのコンビで練習していたときの笑顔が全く無いというのが、本当に素晴らしい。
公式より「Dance Pe Chance」
この決勝のダンス大会では、「Dance Pe Chance」で練習したような演目をただ踊っているわけではないのです。
ラージの正体がスリーだと分かったからといって安易に笑顔を振りまいて踊ったりしない。ラストステージだからといって、楽しそうに踊りもしない。
今回踊っているのはあくまでもスリーとターニーなのです。つまりこの最後の大舞台に、先ほど書いた「食卓シーン」の構図をまるごと持ち込んでしまった。
「一度離れ、距離を保ちつつグルリと歩く」はまさにその構図です!
向かい合った2人は仏頂面で距離を取り、しかし逃れることも近づくことも難しい。そういう関係こそスリーとターニーだったのです。
だから2人は劇中で行くども見た時と同様に笑顔は見せないし、強い緊張感も伴う。そうやって対峙せねばならないのです。
こんな状況でもって「Dance Pe Chance」のアレンジメロディで「Dance Pe Chance」で見たような振り付けで踊らせるのだから「監督、あんた本当に意地悪で最高だな!」
しかしこの「Dancing Jodi」序盤パート、スリーは本当にアピールする。ラージに変身した時いつもそうしていたように、歩みを止めてしまいそうな戸惑うターニーをことごとくリードする。
ついにターニーはスリーを”見はじめる”
そして曲は中盤の「Haule Haule」パートへ。記事冒頭にも書いたスリーのテーマ曲ですね。
ターニーはこれまでスリーが(夫としてか変身したラージとしてかは関係なく)いつも彼女のことを見守り、彼女のことを想っていたことを思い起こさせます。
ようやくターニーは、ほんとうの意味でスリーのことを”見はじめる”のです。
ここの対比として、劇中で彼女がスリーを見ていなかったことがよく分かるのはミュージカルシーン「Tujh Mein Rab Dikhta Hai 」でしょうか。”ラージの誕生日”を小旅行しながら過ごすという名シーン。
公式より「Tujh Mein Rab Dikhta Hai」 ああつらい・・・。
このシーンで実にうまく表現されているように、妻ターニーはスリーのことが見えていない。全く彼女に悪気はないのだけど、スリーのことは残念ながら見ようともされていない。
それもそのはず。
このミュージカルシーンの途中でトラックに手作り風の看板が掲げられており、(ここはICW上映とBDソフト両方に字幕がない部分ですが)そこに書かれているのは「Hum Hai Rashi Pyaar Ke. Phir Milenge Chalte Chalte」
ラージが毎回言う決め台詞であり、ターニーの夢にでてきたミュージカル「Phir Milenge Chalte Chalte」のサビでもあります。この小旅行はターニーにとっては半分夢のような世界であり、そこに現実の象徴としてのスリーは介在できないようにも見える描写です。
だ・か・ら・こ・そ!
「Dancing Jodi」での「Haule Haule」パートであのターニーがついに、
ついに!
ついに!!
ついに!!!
ターニーがスリーのことを、ダンスの最中にもかかわらず”見はじめる”!
言うまでもなく黄金寺院の「あなたの中に神を見た」という表現ではあるのですが、微妙に違うのはターニーがラージとスリーの正体をすでに知っているということです。
ここのスリーを見つめるターニー眼差しには、もうラージの純朴な想いに後ろ髪を引かれることはなく、真っ直ぐに現実に実在するスリーを見ているのです!
この大逆転カタルシス!この映画的快楽!!これ待っていた!!!
そして結び合わされた2人
「Dancing Jodi」最後のパートは「Rab ne・・・」の男女コーラスが響き渡る中でのダンス。ここでの振り付けのほとんどが、互いに手を取って見つめながら回るというポイントに注目です。
ここのフラッシュバックとして挟まれる回想のように、インドの結婚式ではお互いの衣服の端を結んで炎の周りを七回まわる儀式があります。
つまりこの振り付けは彼らが本当の意味で、互いを認め会える夫婦になったということ。ここまで来るともはや劇中の流れを再現したシーンではありません。
スリーとターニーはダンスによって、劇中ずっと越えられなかったその先へ進みだしたのです。
ラストの決めポーズがタイトルロゴという気の利き方ふくめ、ここまで重層的で映画的に豊かなダンスがあっていいのか!
たかだか男女2人の「愛の物語」を表現するためだけに費やされたこの贅沢な演出かつ、爽快なラスト!
最高かよ!ふたりともお幸せに!!
まとめ
日本描写について言いたいこともあるが
正直どうかと思う描写はありますよ?特に日本についての扱いは。
でもさあラストのスリーとターニーがすっごい幸せそうにのろけてるんだもん、それで全部許しちゃうよ!
日本展がすっごいズレてるとか、スモウは特別ルールとはいえ適当すぎるとか、新婚旅行の写真はあからさまの合成でいい加減だなあとかそりゃ言いたくはなりますよ?
でも2人が幸せそうだからイイじゃない!
この作品にどんな批判があろうと私は全力で守る、好きだから仕方ない!
どうしても文句がある人は本作と同じスモウ・レスラーが「ナッティ・ルーニー・クレイジー2」って作品に出てるみたいなので、そちらに文句言ってください(私は見てません)。
あとBDを買ってわかったのですが、スタッフロール中は英語字幕が付きません。ヒンディー語も聞き取れないと、スリーのメロメロナレーションで何を喋っているのかは詳しく分からないのです。
な・の・で!
ICW2018のような、この辺りまで日本語字幕をつけてくれている親切な上映は絶対に逃さないように!合成のちゃっちさぐらいで文句言わない!
東京と大阪に近い方は12月中におかわり上映もあるので、何度でも見に行くべき!
幾年経ようとも色あせない今年ベストの娯楽映画
インド本国での公開が2008年。
私が「ダークナイト
こんなにも狭く小さな世界観ながら、どこまでも深い「人を愛する」という超普遍的なテーマを描ききった本作。
もちろんメッセージ性だけじゃなくて。むしろ泣いて笑ってハラハラさせて、とにかく楽しいっていうのがすっごくイイ!
この作品を語る切り口はこんな記事程度じゃとても足りてない・・・。より多くの人がこの素晴らしい作品を語り伝えられるようになることを願ってやみません。
そんなわけで一人の娯楽映画好きとして・・・
本作「神が結び合わせた2人」を
2018年に見た映画の1位とさせていただきます!
↓ちなみに今年書いた私のインド映画記事はこちら↓

↓こちらはドキュメンタリーのインド映画感想↓

↓私のインド映画歴の程度が大体知れてしまうページはこちら↓

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